忍のノート

退職後に学び始めたっていいじゃない。

はじめまして、忍と申します。

はじめまして。忍(しのぶ)と申します。

3年勤めた会社を辞めてから、己の仕事に真剣に向き合おうと決意を固め、ブログとツイッターを始めました。

 

今回は、自己紹介とブログ&ツイッター開設の理由をお話ししようと思います。

企業ホームページ等でコラムの執筆経験のある私ですが、今回は思ったことをツラツラ書き殴るだけなので、読みにくいことこの上ないと思います。

 

さらに、私の自己満足と色々被害妄想1000%となっておりますので、「危ないっ!」と思った方はそっ閉じお願いします!

 

■自己紹介(人物編)

ではまず、自己紹介からさせていただきます。

はじめまして、忍(しのぶ)です。(2回目)

 

お仕事関係のアカウントを作られる方って本名出されてる方が多いイメージですが、

私は古のオタクなのでネット上に本名(しかもフルネーム)を晒すことなど到底無理と思い、ハンドルネームを名乗らせていただきます。

由来は自分の名前によるもので、決して大人気アニメの大人気キャラに肖ったというわけではございません(いのすけ推し)

 

年齢は26歳(今年で27歳)、独り身であることに最高級の幸せを感じている独身女です。

天下分け目のあたりで生まれ育ち、大学時は京の都に出るも就職とともにUターン。

そして、現在なんと、ニートです。

4月に会社を辞め、5月1日から新しい会社に行くんだっ♪ などとルンルンしていた過去の私を殴りたい。自粛が緩和されてもセルフ自粛してるよ。

 

さて、冒頭の雰囲気からお察しの通りですが、いわゆるクソオタクという人種でございます。

好きなアニメは? と聞かれると半年悩んでしまいには寝込むくらいのキモオタと思っていただければと思います。

有名どころで言えば名探偵コナン(コナンくんとキッド様推し)、ヒロアカ(轟くんと上鳴くんとお茶子ちゃん推し)、最近で言うとアニメじゃないけどヒプマイ(サマトキサマと山田二郎くんと空却くん様推し)あたりが好きです。

コアなところで言えば、人生で一番好きなアニメは「たまこラブストーリー」です(箱っていうか作品推し)

 

(推しアピールが強い)

 

他にも、趣味観劇(ストレート,ミュージカル問わず)、LDH(おみちゃん、れおちゃん、いわやしょうご推し)、GLAY(箱推し)、マーベル作品(トムホ推し)などなど、節操なく色々なものに手を出しては沼にハマるオタクです。

 

■自己紹介(仕事編)

続いては、2016年に大学を卒業して社会人生活のスタートを切った私の職業遍歴を。

2016年 田舎の商社に入社(新卒)

2017年 退社、間をあけずに名古屋のウェブ会社に転職

2020年 退社

 

こんな感じです(雑)

 

・1社目・・・田舎の中小企業

新卒で入社した会社は、昭和を感じさせる田舎の中小企業でした。

朝が早い。7時過ぎから働いていたよ(トホホ)

社員の平均年齢はおそらく40歳を超えており、60オーバーの方も元気に働くような会社でした。

 

私は、「戦略企画室」という謎名称の部署に配属となりました。

戦略企画室が何をする部署かと言いますと、「何でも屋」です。

電話応対、広報活動、お客様対応、上層部からの無茶振り、それらに応える部署となります。

 

入社初日に、使ったこともないAdobe ソフト「Illustrator」「Photoshop」を使ってデザインをしろと言われたのは今でも忘れられません。

 

私、経済学部出身やし、デザインとかしたことあらへん。

 

新卒の私に拒否権などなく、センス皆無の中Google先生を頼りに操作を覚えていく日々の始まりです。

でも、ここは若者特有のデジタル順応性というやつで、しばらく経てば、センスはさておき使えるようにはなるのです。すごい。(自画自賛

 

その他、輸出関係でクセの強い担当者とやりあったり、商社なのでBtoBかと思いきやBtoCの事業も始めちゃったもんだから一般のお客様対応に追われることになったりと、何でも屋さんは大繁盛でした。私は、先輩の仕事を見て盗むという昭和らしい学び方で覚えていくのでした。

 

 

そんな私ですが、1年で会社を辞めます。

これは今となっては完全な逃げなのですが、当時は一世一代の勇気を振り絞った決断でした。

社内で人のゴタゴタがあり、それこそドラマか? みたいな展開についていけずに先輩と一緒におさらばしてやりました。

 

でもね、就業規則を総務の部屋の鍵付キャビネットに保管して、見る時は部長に頼んで後ろから監視されるような会社なので……お察しください。

 

 

・2社目・・・真逆の会社に転職

さて、運命の2社目。

2017年3月に退職をした私は同年4月に2社目に入社しました。

出会いは、ウインクあいちで行われた合同説明会。

やれることもやりたいこともない忍ちゃん(社会人見習い)、会場の入り口でフラフラしておりましたところ、スタッフさんに誘導されとあるブースへ。

そこには、可愛いお姉さんとすらっとした男性が優しげに微笑んでいました。

 

どんな会社か聞いてみると、なんと1社目の真逆をいく現代感溢れる会社!

始業は10時だし服装はダメージジーンズ可だし平均年齢は30代前半ときた。

 

ここだ!(確信)

 

と思いましたね。(フィーリング)

それに、お話ししてくれる人たちの優しさったらない。こんな1年で会社逃げ出した忍耐力もない若者の話をウンウンって聞いてくれる。すごい。(ちょろい)

その場ですでに心掴まれていた私は、面接日程を決め、後日会社へ面接に赴き、1週間後に入社をしました。

 

それが、3年で辞めることになろうとは。

 

 

さて、即決で2社目を決めた私ですが、今度の部署は「広報部」でした。

前職でブログを書いたりチラシづくりをしていた私は、多少なりともある経験を生かしスキルを伸ばしたいと思いました。

また、会社として初めて広報部を立ち上げるということで、立ち上げメンバーとして入社しました。当然、先輩もしくは同期がいるものと思いきや。

 

ひとり。

 

マジのひとりでした。

そういえば面接のときもふわふわしていた! とそこでようやく気づく私。

 

〜面接回想〜

私「広報部って何するんですか?」

面接官「いや〜、俺もね、知らないんだよね〜」

私「そうなんですか〜」

〜回想終〜

 

いや、なぜ入社した?

ニートへの焦り、一日中家にいることへの苦痛からすぐ決めたかったという気持ちはあったが決断を早まったかなとは思いました。

 

でもね、その時の面接官の人(ブースにいた男性)は、辞める最後まで私の面倒を見てくれる、本当に優しい方でした。

人を見る目と人に恵まれる運だけは、あるんだ。

 

入社後しばらくは、誰もが私の扱いに戸惑い(なんせ未知の存在)、他部署のヘルプに駆り出される日々を過ごしました。

1ヶ月後、ようやく社長から広報として初めてのお仕事が舞い込みます。

 

プレスリリースづくり

 

悩みに悩んで描いたリリースは、報道各所の目に留まることはありませんでした。

が、私の心は燃えていた。やってやるぞ、と燃えていたのだ。

広報とはなんぞや? どんな心構えで仕事に向かうべきか? など本を買い読み漁り、少しずつ学んでいく忍ちゃん(広報見習い)。

 

 

しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。

私の、前職で培った「何でも屋」の精神が、どこからか滲み出ていたのでしょう。

入社半年後くらいからは、広報の仕事だけではなく総務の仕事や社長命令の雑用も舞い込むようになりました。

さらに、1年後には新しいプロジェクトのリーダーとなり、ますます広報とはかけ離れていきます。(プロジェクトも広報の仕事はあれど、注力できずにいた)

 

しかし、私の他に広報に従事するスタッフを採用することはありませんでしたので、当然リリース配信や取材対応は私の仕事です。

(でも、2年目の春はリリースから新聞掲載につながったという微かな実績ができました!)

この辺りからもう様子がおかしい。

 

一つ、ここで言っておきたいことが。

私は、「忙しい」ということが嫌いではありません。仕事がなくて日がな一日デスクトップを眺める、なんてのは3時間で限界がくる。

ですので、たくさん仕事があること、に対する不満はそんなにないのです。

 

では何が問題だったのか。

 

ひとりだってことです。

 

企画を立てるのも、実行するのも、結果を分析するのも、全てひとりです。

知識もノウハウも社会人としての経験も大してない、ペーペーの私に、これがいかに重荷になったか。

甘えるな! とかいうお叱りマジいらないんで、下記の社長キャラを含め、私と同じ立場になって一度考えてみてください。

 

上司は社長ただ一人。

その社長は「言葉足らず」で有名で、ダメ出しは「ダメです」のみ。

どこがダメなのかは教えてもらえません。

しつこく聞きまくると「君とはコミュニケーションがうまく取れないからもう何も聞いてこずにデータだけ送ってきて」と言われるんです。(それでダメなら返信は「ダメです」のみ)

 

 

さあ、これを繰り返すことで私の精神はどんどん病んでいきます。

これで私だけ社長と噛み合わないなら私に問題があるのだろうが、社長は誰とも噛み合ってなかった。

 

唯一の救いはオタクであること。アニメをみて現場に行って推しにパワーをもらう。それだけを心の支えに仕事をこなす日々。

 

「チャレンジ」という言葉は、どんどん私の中からなくなっていきます。

これが”やりがいの搾取”ってやつなのでしょうか。

 

 

そうして、入社して1年半くらい経つと、会社の経営が一気に傾いていきました。

社会情勢にひっぱられた影響が一番強いものの、社員の誰もが社長とのコミュニケーションがうまくいかず、そのうち社長が合わないスタッフに無理なノルマを課して退職を迫るようになっていきました。

幸い、私にノルマが課せられることはありませんでしたが、辞めていく社員の業務は私にも引き継がれるので、仕事は増える一方です。

 

そうして限界を迎えた3年目の春、私は会社を去ることになりました。

 (おそらく会社の命もあと数ヶ月)

 

■ブログ&ツイッター立ち上げの理由

 

最後に、なぜ今回、このブログを立ち上げたのかをお話ししようと思います。

てか、ここまで読んでくださった方っているの?(疑惑)

 

さて、4月に会社を辞めた私は、担当していたSNSやホームページを一切見なくなりました。

引き継いだ人がめっちゃバズらせていたりしたら精神が死ぬし(僻み体質)。

しかし、あるきっかけで後任の社員のSNSアカウントを発見!

 

後任の人は美人で感じもよくて曲者社長のオキニです。

つまり陽キャの極み、陰の私とは住む世界が違う人です。(直視すると目ん玉が潰れるか焼かれて灰になる)

 

その後任のアカウントですが、

愛社精神に溢れる広報見習い! といった感じ。

やめときゃいいのにツイートを遡っていくと、どうやら外部のPRのプロに広報について学ぶ機会があるのだとか。それを見て気づいたんですよね。

 

私、使い捨てじゃーん。

 

これが脳内を占めてしまい、そこから数日間は本当に虚無の日々を過ごしました。

要は実験台。初めての広報部に予算も人件費も避けないけど若いしやる気だけはありそうやしうまくいかなくてもまあいいわ、と、私は、誰もいない部署にひとり放り投げられた。独学で学ぶもフィードバックもなく、しまいには別業務に圧迫されスキルを上げる暇もなく、ついに音を上げて会社を去りました。

 

どんなに忙しかろうが学ばなかったのは自分。

 

という気持ちももちろんあります(これはでかい)

でも、私の心には「虚しさ」「妬ましさ」「羨ましさ」みたいなものがぶくぶくと膨れ上がって、パンクした結果虚無るという。

 

そして数日間ふとした瞬間に泣きたくなるような心に穴が開いたような感覚で過ごし、

元来単純にできている私の脳みそはひとつの結論を出します。

 

 

わたしを突き動かすものはひとつ、”怒り”だ。

 

 

忙しいを言い訳にして勉強を疎かにした自分

パワハラモラハラ放置プレイのコンボを決めた社長

社員が不幸になっていった会社で謎に愛社精神を持ち続ける後任

 

すべてに怒りが湧いた私は、

 

やっぱり独学で、広報を学んでやる。

 

と思いました。

(後任とばっちりや〜んと思われるかもしれませんが、退職前から色々あったので爆発したと思ってください)

 

いやまあ、今週金曜日に面接があって、そこで広報のプレゼンをしなくてはいけない中、

元からない自尊心をけちょんけちょんにされたことにより自信が地に埋まり全くもって進まないから自分に発破をかけるという魂胆もあるんですけどね。

 

 

でも、ここまで学ぶことにポジディブ(?)になったのは久々なので、

この気持ちが三日坊主にならないためにも、決意表明をしてみようと思いました。

 が、基本的にSNSは情報収集に使う予定なので、おそらくロム専です。

 

 

まずは、金曜日の面接頑張ります。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。